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* 加藤 周一《日本藝術的心與形》『日本文化における時間と空間』《世界漫游記》等等

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日本藝術的心與形
系列名:加藤週一作品
ISBN:978-7-5135-3021-7
作者:(日)加藤週一
開本:32開 頁數:352 頁
出版日期:2013-05-01

《日本藝術的心與形》是葉渭渠先生主編的《加藤週一作品》的第二部。該文集將日本著名作家、評論家、文學史家加藤週一的經典作品以文學、藝術、文化為主題結集翻譯,分三部出版。 《日本藝術的心與形》包括三部分,分別是文化藝術概論、日本藝術的心與形、日本藝術精神的考察。首先,加藤先生從藝術家在日本社會中的作用揭示了藝術家與社會的關係,認為藝術家的工作是“恢復藝術與大眾聯繫的生命線”。其次,加藤先生從繪畫、音樂、建築、雕刻、陶瓷以及茶道等方面闡述了日本藝術獨具的美。最後,他對藝術作品注入了思想性解釋,從而揭示了作品的思想史意義。

“加藤週一作品”中譯本序主編的話第一輯 文化藝術概論傳統文化與現代的關係現代的藝術創造藝術家與社會——藝術家在日本社會的作用第二輯 日本藝術的心與形原始工藝的形水墨——天地的心像琳派美學掌中的宇宙浮世繪中的女性第三輯 日本藝術精神的考察日本的美學西洋畫與日本畫的區別佛像的樣式關於《源氏物語繪卷》宗達之我見光悅備忘錄鐵齋備忘錄日本的庭園日光東照宮論解說

日本文化中的時間與空間  南京大學出版社2010/2011
『日本文化における時間と空間』岩波書店、2007年

加藤周一的《世界漫游記》 (詳下)

加藤周一記念講演会 「加藤周一のノート(未発表)を読む」

 20日18時、東京都渋谷区恵比寿3丁目の日仏会館ホール。ジャーナリスト鷲巣力が講演。評論家・加藤周一の残した膨大なノートの一部を読むことを通じ て、様々な問題を「関係」づけながら考察した加藤の思考の意味を考える。一般千円(学生500円)。要予約。日仏会館(電話03・5424・1141) へ。


2009/12

加藤周一

提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


加藤 周一(かとう しゅういち、1919年9月19日 - 2008年12月5日)は日本の評論家医学博士。専門は内科学血液学
上智大学教授エール大学講師、ブラウン大学講師、ベルリン自由大学ミュンヘン大学客員教授、ブリティッシュ・コロンビア大学教授、立命館大学国際関係学部客員教授、立命館大学国際平和ミュージアム館長を歴任。

目次

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生涯[編集]

東京府豊多摩郡渋谷町金王町(現在の東京都渋谷区渋谷)出身。父は埼玉県の地主の次男で、第一高等学校を経て東京帝国大学医学部に進学。同大学において青山胤通に師事したのちに医院を開業していた。渋谷町立常盤松尋常小学校(現在の渋谷区立常盤松小学校)から旧制府立一中(現在の都立日比谷高校)、旧制第一高等学校を経て1943年東京帝国大学医学部卒業。学生時代から文学に関心を寄せ在学中に中村真一郎福永武彦らと「マチネ・ポエティク」を結成、その一員として韻律を持った日本語詩を発表、他に文学に関する評論、小説を執筆。新定型詩運動を進める。肋膜炎のため徴兵猶予。
終戦直後、日米「原子爆弾影響合同調査団」の一員として被爆の実態調査のために広島に赴き原爆の被害を実際に見聞している。この終戦前後に、作家の堀辰雄の主治医となっていた。
1947年、中村真一郎・福永武彦との共著『一九四六・文学的考察』を発表し注目される。また同年、『近代文学』の同人となる。1951年からは医学留学生としてフランスに渡り、パリ大学などで血液学研究に従事する一方、日本の雑誌や新聞に文明批評や文芸評論を発表。帰国後にマルクス主義的唯物史観の立場から「日本文化の雑種性」などの評論を発表し、1956年にはそれらの成果を『雑種文化』にまとめて刊行した。1958年に医業を廃し、以後評論家として独立した。
1959年~60年の安保闘争において、改定反対の立場から積極的に発言した。1960年秋、カナダのブリティッシュ・コロンビア大学に招聘され日本古典の講義をおこなった。これは1975年に、『日本文学史序説』としてまとめられている。以後、国内外の大学で教鞭をとりながら執筆活動を続けた。『雑種文化』・『読書術』・『羊の歌』等の著書がある。また、平凡社の『大百科事典』の林達夫のあとをついで『大百科事典』をもとにした『世界大百科事典』の編集長をつとめ、その「富岡鉄斎」「日本」「日本文学」「林達夫」「批評」の項目を執筆した。
1979年より「朝日新聞」夕刊に「山中人間話」を連載、1984年に「夕陽妄語」と改題して2008年7月まで連載していた。1988年~1996年の間、東京都立中央図書館長。
2008年12月5日、多臓器不全のため東京都世田谷区病院死去した。病床にあった同年夏、カトリックの洗礼を受けた。89歳没[1]

人物[編集]

受賞歴[編集]

著書[編集]

  • 『文学と現実』中央公論社1948年
  • 『現代フランス文学論 第1』銀杏書房、1948年
  • 『道化師の朝の歌』(小説)河出書房、1948年
  • 『ある晴れた日に』(小説)月曜書房、1950年 のち岩波現代文庫
  • 『文学とは何か』 角川書店角川新書、1950年
  • 『抵抗の文学』 岩波新書1951年
  • 『美しい日本』角川書店、1951年
  • 『現代詩人論』弘文堂、1951年
  • 『戦後のフランス』未來社1952年
  • 『ある旅行者の思想』 角川新書、1955年
  • 『運命』講談社1956年
  • 『雑種文化』講談社、1956年 のち文庫
  • 『政治と文学』 平凡社1958年
  • 『西洋讃美』社会思想社現代教養文庫)、1958年
  • 『神幸祭』講談社、1959年
  • 『現代ヨーロッパの精神』岩波書店、1959
  • 『ウズベック・クロアチア・ケララ紀行』岩波新書、1959年
  • 『東京日記』朝日新聞社1960年
  • 『二つの極の間で』弘文堂、1960年
  • 『頭の回転をよくする読書術』光文社カッパ・ブックス1962年 のち、文庫 岩波現代文庫
  • 『加藤周一世界漫遊記』毎日新聞社、1964年
  • 『海辺の町にて』文藝春秋新社、1964年
  • 『三題噺』筑摩書房、1965年
  • 『芸術論集』岩波書店、1967年
  • 『羊の歌』正続、岩波新書、1968年
  • 『言葉と戦車』筑摩書房、1969年
  • 『日本の内と外』文芸春秋、1969年
  • 『中国往還』中央公論社、1972年
  • 『称心独語』新潮社、1972年
  • 『幻想薔薇都市』新潮社、1973年
  • 『歴史・科学・現代』平凡社、1973年
  • 『日本文学史序説』上下 筑摩書房、19751980年のち、文庫
  • 『現在のなかの歴史』新潮社、1976年
  • 『薔薇譜』湯川書房、1976年
  • 『言葉と人間』朝日新聞社、1977年
  • 加藤周一著作集』平凡社、1978 - 198019961997年 15巻補巻9巻・全24巻
  • 『山中人間話』福武書店、1983年 のち、朝日選書
  • 『夕陽妄語』1-8 朝日新聞社、1984年-2007
  • 『富永仲基異聞 消えた版木』かもがわ出版1998年
  • 『加藤周一講演集』1-4 かもがわ出版、2000年-2009
  • 『私にとっての20世紀』岩波書店、2000年 のち、現代文庫
  • 『過客問答』かもがわ出版、2001年
  • 『学ぶこと 思うこと』岩波書店・岩波ブックレット2003年
  • 『小さな花』かもがわ出版、2003年
  • 『講演集III-常識と非常識』かもがわ出版、2003年
  • 『高原好日―20世紀の思い出から』信濃毎日新聞社2004年のち、ちくま文庫
  • 『私たちの希望はどこにあるか 今、なすべきこと』かもがわブックレット、2004年
  • 『二十世紀の自画像』ちくま新書、2005年
  • 『吉田松陰と現代』かもがわブックレット、2005年
  • 『「日本文学史序説」補講』 かもがわ出版、2006年
  • 『日本文化における時間と空間』岩波書店、2007年
  • 『加藤周一戦後を語る 加藤周一講演集』 かもがわ出版、2009年

共著[編集]

対談集[編集]

翻訳[編集]

脚注[編集]

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関連人物・項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]



2007/10/18
這篇原文為 "加藤 周一一世界漫遊記"

不過 2007年新書
加藤周一{21世紀與中國文化}出版社:中华书局 作者:(日)加藤周一|主编:王晓平|译者:彭佳红

21世紀中國文化》是從加藤週一的大量著作中收集了有關於中國文化歷史的篇章。內容由加藤先生和譯者共同選定。

【图书目录】

致中国读者 (2004)
我和中国
寄语《中岛健藏展》
初次访问南京
中国的飞檐
敦煌有感
中国电影三题
北京的春天
北京的秋天
再访北京的秋天
历史和文化
战争和战后——日中关系的问题
从“南京”追溯到“旅顺”
香港有感
香港旅情
春秋无义战
儒教再考
三星堆的青铜器
中日文化的两极互反性
佛像群的发现
中国的水墨画和日本的水墨画
文学和翻译
什么是文学或有关《中国文学史》
“天丧予”或有关《论语》
马克思主义与文学
宋学的日本化
诗人们
明治初期的翻译——为何而译?译什么?怎样译?
文学的使命——在科学技术文明的时代
近代的翻译诗——翻译的叛逆之说
渊明和一休
提倡翻译
《圣经》和《论语》的意义
偷羊人的话题
趋庭日
翻译、风流、自然
21世纪和中国文化
新世纪的希望或有关“历史意识”
20世纪曾是一个什么样的时代?
围绕中国的国际问题和日本——与罗贝尔·吉朗的对话
多种语言的必要性
汉字文化圈的历史和未来——与一海知义的对话
对“汉字文化圈”构思的补充
东瀛风流人物——加藤周一(代后记)


且先看2005年4月的一則新聞

 
 "日學者抨擊新教科書事件

  加藤周一在華演講中指責日本隱瞞事實

   本報訊(記者文瓊)“日本在隱瞞歷史”,3月31日下午,一位略顯佝僂、白發蒼蒼的老人在日本國際交流基金會北京事務所一場名為“日本和平憲法與東亞” 的演講中,針對日本新教科書事件這樣對聽眾表示。這位已經85歲高齡的老人就是被譽為當代日本“百科全書式”的著名學者加藤周一,他此次是應日本國際交流 基金會之邀,來北京舉辦題為“日本與東亞文化”的系列講座。

  “日政府和社會都有責任”

  針對日本新教科書事件,加藤周一表示,一個國家的教科書往往都是選取對自己比較有利的內容,因此有不少存在隱瞞歷史事實的內容,在給教科書中歪曲歷史事實將不利於對青少年的教育。

   加藤周一說,按照自己的利益來解釋歷史的情況確實在很多國家都存在,但這並不能成為日本新教科書事件正當化的理由。德國在二戰中曾經殺害過猶太人和吉卜 賽人以及一些左翼人士,但在二戰結束后,德國的歷史書並不是對其不利的就不寫,因為如果它這樣做的話,就很難在歐洲和法國等其他國家共存,因此,德國和波 蘭等國共同撰寫了歷史教科書,還在自己的觀點后面寫上“僅供參考”字樣。

  他認為,日本的新教科書是在隱瞞事實,在隱瞞歷史。日本在 20世紀犯下了大量殺人和種族滅絕的罪行,如果不直接面對這樣的歷史事實的話,它和亞洲國家的關系就無法修好,中國和朝鮮半島的國家就不會答應的。德國是 一個正確面對歷史的成功例子。他還表示,日本態度不好,政府有責任,但同時日本社會的選擇也有問題,日本人對這個問題應該重視。

  “日本的選擇非常愚蠢”

   加藤周一還從文化意義上剖析日本侵華戰爭的原因。他指出,日本文化傳統最主要的是強烈的集團主義色彩,而在集體主義框架下很容易不看整體,隻看部分,這 就造成了日本隻注重本國內部框架,不注重周邊國家的事實。他認為,日本隻注重目的的實現而不注重手段的選擇是非常愚蠢的行為,目前日本隱瞞歷史事實是其與 亞洲各國很難修好的重要原因。加藤周一笑言“我來到這裡就是為了埋葬日本集團主義的”。

  呼吁日本反省歷史

  作為一 位有著深厚人文關懷的學者,加藤周一曾經長期不懈地呼吁日本要反省侵略歷史,並不斷批判日本社會出現的否定侵略歷史的言行,被譽為日本戰后“最大的知識分 子”。2004年,加藤周一和著名作家大江健三郎等9位日本文化界著名人士還共同組成了維護日本憲法第九條的“九條會”,從反對修憲的立場出發,在日本各 地巡回演講,引起了強烈反響。"



在2000年北京光明日報發行他的"日本文化論"一書 (448頁 約三十四萬字)中已有此討論
更有意思的是下文中說的『日本文学史序説』乎主要語言(包括漢文)都有翻譯本
附一篇訪談 可知
"日本文化的雜種性""日本文學的基本特徵"等書都早有翻譯




立命館大學 國際平和博物館( 《台灣不會忘記》專任攝影‧胡慧玲)



加藤 周一
Wikipedia 日文 かとう しゅういち1919年9月19日 - )は、日本の評論家作家東京大学文学部エール大学講師、ベルリン自由大学ブリティッシュ・コロンビア大学教授立命館大学国際関係学部客員教授、立命館大学国際平和ミュージアム元館長。東京都生まれ。医学博士。専門は血液学九条の会の呼びかけ人の一人。


『加藤周一著作集』15巻補巻9巻・全24巻 1978 - 1980、1996 - 1997、平凡社


『加藤周一世界漫遊記』毎日新聞社, 1964 (後來收入講談社等) ---  此書有翻譯本『世界漫遊記』河北教育, 2002   

『日本文学史序説』上下 筑摩書房,1975、1980、大佛次郎賞此書有英文翻譯本

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