独自の古代史論などで知られ幅広い分野で発言、執筆活動を続けた哲学者・作家で文化勲章受章者の梅原猛(うめはら・たけし)さんが1月12日午後4時35分、肺炎のため京都市内の自宅で死去した。93歳だった。
文学・歴史・宗教の分野で従来の学説に挑んだ著作が「梅原古代学」として親しまれた。伝統芸能への造詣も深く、歌舞伎俳優の三代目市川猿之助さんと組んで「スーパー歌舞伎」の原作を、狂言役者の茂山千之丞さんと組んで「スーパー狂言」の原作を手掛けた。
仙台市生まれ。1945年、京都大文学部哲学科入学後に学徒出陣。戦後復学し、48年に卒業した。
卒業後は立命館大教授などを経て72年に京都市立芸術大教授となり、74年同大学長。86年、国際日本文化研究センター(日文研)の創設準備室長に就任し、翌87年から8年間、日文研の初代所長。90年から92年まで臨時脳死及び臓器移植調査会(脳死臨調)委員、97年から6年間、日本ペンクラブ会長を務めた。
74年に大仏次郎賞、92年に文化功労者、99年に文化勲章。2001年5月、日本経済新聞に「私の履歴書」を掲載した。
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哲学者の梅原猛さん死去 日本古代史に大胆な仮説を展開
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60年代から日本文化研究に傾倒し、72年に奈良・
法隆寺は
聖徳太子の怨霊を鎮めるために建てられたとする「隠された十字架―
法隆寺論」を出すと、73年には万葉歌人の
柿本人麻呂は流刑死したとする「水底(みなそこ)の歌―柿本人麿論」を刊行。通説を覆す独創的な論は「梅原古代学」と呼ばれ、大きな反響を呼んだ。
80年代前半には、日本文化を総合的に研究する中心機関の必要性を訴え、当時の
中曽根康弘首相に直談判するなど政府関係者を説得。
日文研の創設にこぎ着け、87年に初代所長に就任した。
社会的発言も多く、日本人の死生観をもとに「脳死」の考え方に強く反対したほか、
イラク戦争や自衛隊の海外派遣の反対、
平和憲法擁護なども訴えた。一方で、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の創作など劇作家としても活動し、多才ぶりを示した。